お寺

東寺(宝蔵)【南区】

宝蔵(重用文化財):桁行三間梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺創建は不明(平安時代後期)とされている。最初は、南北二宇であった。火災で焼失し、南側の宝蔵のみ現存する。北側には礎石のみ残る。なお南側の宝蔵は、南向きの扉に改造された。宝蔵の床材は全...
その他

南山城水害水難記念碑【綴喜郡井手町】

南山城水害:昭和28年災害昭和28(1953)年8月14日~8月15日に、京都府南部(綴喜郡及び相楽郡)で、集中豪雨が原因となって木津川の支流で発生した水害のこと。南山城地域は、南下してきた寒冷前線が停滞し集中豪雨に襲われ、400ミリを超え...
その他

蛙塚(かわずづか)【綴喜郡井手町】

蛙塚(かわずづか)のいわれ:橘諸兄が三本足の蛙を祀ったからと伝えられる。三本足の蛙は、青蛙神(せいあじん)と言われ中国の霊獣で縁起の良い福の神といわれている。江戸時代には、この付近に覚音阿闍梨が玉井寺(ぎょくせいじ)を建立した。「玉井」と「...
お寺

井堤寺址【綴喜郡井手町】

井堤寺(円堤寺):左大臣橘諸兄が母三千代の一周忌に創建したもので、一族の繁栄を願い建立した氏寺である。七堂伽藍の壮大な威容で金堂の四面に山吹を植えて、水に映る風情を楽しむと伝わっている。道路改良工事にて柱穴が確認でき、礎石、銅銭、鏡や軒瓦な...
お寺

五重塔基壇跡【綴喜郡井手町】

橘嘉智子(壇林皇后)による建立か:令和2年の発掘調査で一辺15.3mの塔基壇跡が発見され、規模から五重塔と推定された。基壇の中心部から地鎮のために埋葬されたと思われる銭貨「冨壽神寶・ふじゅしんぽう」(818年初鋳)が出土したことから、橘諸兄...
神社

玉津岡神社【綴喜郡井手町】

主祭神: 下照比賣命(したてるひめのみこ)(家内和合)  祭神: 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)    少彦名命(すくなひこなのみこと)    素戔嗚尊    味耜高彦根命(あぢすきたかひこねのみこと)    菅原道真社歴:540年(欽...
お寺

地蔵禅院【綴喜郡井手町】

山号 玉峰山  本尊 地蔵菩薩寺歴:起源は不明とされるが、白鳳年間に橘諸兄が創建と伝わる(南側に橘諸兄公墓)。1628年に、至心孝察が華厳宗から曹洞宗に改める。1856年に、賽山俊棟が現在の建物を建立した。玉津岡神社の神宮寺:本尊の脇仏不動...
その他

小野小町塚【綴喜郡井手町】

小野小町塚:台石の上に、立方体の大きな自然石が4つ積み上げられた塚である。『冷泉家記(れいぜいかき)』には、「小町六十九才井手寺に於いて死す」とあり、また、『百人一首抄』には、「小野小町のおはりける所は山城の井手の里なりとなん」とある。小町...
その他

井手の下帯物語【綴喜郡井手町】

椿坂出会い橋:平安時代の中頃、平安京の内舎人(うどねり・役人)が、奈良の三輪まで出向いたおり、現在の橋本橋のたもと「椿坂」付近で美しい少女に出会う。内舎人は少女に心を奪われ自分の衣の帯を持たせ、再開を約束しました。それから7、8年がたち、内...
その他

(大安寺旧境内附)石橋瓦窯趾【綴喜郡井手町】

(大安寺旧境内附)石橋瓦窯趾:平城京に都が造営され始めると現在の南山城地方、平城山丘陵より北は、瓦の生産拠点となり、この地方では50基以上の窯跡が見つかった。その中で、南都七寺といわれる奈良の大官大寺(大安寺)の平城京創建時の瓦が発見された...